◆中国の古典から考える会社経営「功績と中傷」筆者:武田和也
物にも足らざる所あり 智にも明かならざる所あり(『楚辞』より)
多大な貢献が本人の功績として認められるとは限らず、創業者一族や
古参幹部などにより黙殺や迫害を受けることがあります。
人間社会が単純ではない一端と言えます。
表題の文言は「どんな道具でも完全無欠なものはなく、智者の叡智も
完全無欠ではない」という意味です。
上記は、命がけで国難に取り組んだにも関わらず、重臣たちの誹謗中傷で
免職された屈原が、無念を詠った一節です。
その後、屈原は入水しました。
歴史上の功臣粛清事件の多くはその多大なる功績に対して、トップや
古参幹部が抱いた自分の地位を脅かされるかも知れない「見えない
恐怖心」から発しています。
この災いからは智者ですら逃れられないため、功績を挙げた後は早々に
引退することが最高の保身でした。
7〜8年ほど前、経営計画策定や人事制度構築などでお付き合いがあった
某社で、とある事件が発生しました。
現場から叩き上げで会社の成長を支えてきた営業本部長(取締役)が、
臨時取締役会で解任されました。
前社長の右腕として商品戦略や出店拡大で大きく貢献し、先代社長と
ともに自社を地域一番企業へと伸し上げた方です。
進むだけの猪武者ではなく、撤退のタイミングも絶妙な方で、利益や
キャッシュフローなども見越しながら不採算店の処理もされていました。
同業者や取引先からは「いずれはトップに」と目されていましたが、
これが不幸の始まりだったようです。
先代社長の死去の後、何かと追い詰められる立場に陥り、ついに過日の
事件となりました。
氏を超える有力な幹部が登場し、全面的に会社を立て直さない限り、
今後の業績は低落傾向から逃れられないと予測されます。
恐らく後継経営陣は、業績低下よりも目先の自らの保身を優先させた
のでしょう。
多大な功績は、周囲からの敬意だけでなく、醜い嫉妬を招く元凶とも
なるのでしょう。
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